【シャープ横断♪バトンリレー】第36走者◆西田辺⇒矢板⇒亀山⇒矢板⇒バルセロナ⇒矢板⇒堺。小さく祝うと書いて小祝です。
■自己紹介
玉木さんからバトンを受け取りました。TVS事業本部 海外事業部 副事業部長の小祝(こいわい)です。
おめでたい名前だねとよく言われます。でも実のところ結婚式で芳名帳に書こうとすると“小さく祝う”になって気が引けますし、ましてや葬儀など行きづらいのです。とはいえ、めずらしい苗字なので覚えてもらい易いという利点があり、自己紹介する際のつかみのネタとしても使えるので気に入っています。
今回、バトンのお話を頂いた後、玉木さんのコラムでその立派な経歴を読んで、少なからずプレッシャーを感じましたが、私も1996年の入社以来、勤続29年、決して短くないシャープ人生を送ってきたので、その間経験したいくつかの体験を書かせて頂きます。私の“人となり”が伝わればいいなと思っていますので、少しの間お付き合い頂けると幸いです。
現在、私は堺のTVS事業本部 海外事業部に所属しています。これまでいろいろな地域や国を担当、出張する機会を頂く中で、多くの人と関わり合い、経験を積んできました。海外向けのテレビビジネスに携わり、その中でも商品企画を担当していた期間が一番長いのですが、初の配属先は、国内向けのビデオ営業部でした。まずはその頃の事に触れたいと思います。
■新入社員のころ
入社して初めての配属先は本社西田辺のビデオ営業部。ビジオデッキや液晶ビューカムの出荷業務を担当しました。数年後にはテレビも担当します。新入社員ながら日本全国のお店に並ぶすべてのシャープのAV機器は自分が出荷した商品だと、ひそかに自画自賛していました。実際は、PC画面上で各拠点毎に必要な台数を割り振っていただけなのですが…。些細と思えるようなことでも、やりがいを感じやすく、自己満足に浸れるおめでたい性格の持ち主です。
思い出の商品は<25C-GS1>。ブラウン管、いわゆる箱型テレビです。

薄型テレビが当たり前となった今では考えられないほど厚く、重く、四角いテレビ商品の中で、「ガンダムっぽくてカッコいい!」と称されるような”イケメン”のテレビ。その人気もあって4~5年間ラインナップに君臨し続けていた超ロングラン商品でした。私は入社以来長いこと、この商品を日本全国に出荷しまくっていました。
もうひとつ思い出の商品が。インターネットビューカムです。

ちょうどデジカメが普及しはじめた頃でしたが、デジカメとは一線を画す商品で、ホームページやSNSにあげる動画撮影・記録を用途としたカメラでした。最新の圧縮技術MPEG-4を世界初で採用し、小型で手軽に使える商品としてデビューしました。私はそれまで席に座りっぱなしの業務をしていましたが、ユーザーターゲットが若者世代ということもあり、この商品に限っては大手量販店との商談に駆りだされたのです。初めての商談の場で、緊張しながら商品説明をした覚えがあります。
しかしながら、当時まだTikTokもYouTubeもない時代。提案内容がピンとこなかったのか、バイヤーにはいまいちウケが悪く、自分の営業力不足を感じました。当社では時々聞く“時代を先取りしすぎた商品”のひとつでした。でもそれこそ目の付けどころがシャープ。こういったチャレンジの中から生まれたヒット商品が多くありますし、その精神は当社の中で受け継いでいくべき点だと感じています。
■若気の至り
話は変わりますが、私は大のイベント好きです。バトンリレーのご担当者様から頂いたメールに、人柄が分かるコラムに!とありましたので、あえて昔の自分をさらけだすと、こんなこともしていました。

西田辺の本社で行ったシャープフェスティバルの一幕です。仮装して、恥ずかしい歌声を披露しました。我ながらお調子者です。当時は、現在のようにハロウィンで仮装するといった流行もあまりなかった時代ですので、私も時代を先取りしていたと言いたいです。
イベント好きと書きましたが、単に参加するだけでは飽き足らず、社内のテニス大会「事業所対抗戦」を企画・運営しました。その頃、私は本社テニス部のキャプテンをしていて、同じくイベント好きの同期と一緒に立ち上げた大会。ルーツは健保組合が実施していたスポーツフェスティバルですが、これが中止となってしまった後、年に1度はシャープのテニス部が一同に集まるイベントをやりたいということで、他の事業所テニス部のキャプテンに声掛けして始めた大会です。今でも事業所単位で幹事を回しながら続いています。コロナ禍での中止はあったものの昨年で23回目を数えました。盛り上がるイベントですので、テニスに興味がある方は是非参加してみてください。


■立て続けの転機
入社7年目となった2003年、私はシャープ人生で1回目の転機を迎えます。矢板の記録メディア商品企画部への転勤です。
もともとメーカーに勤めたからには商品企画をやってみたいと希望していたので、念願が叶ったのですが、奈良出身の妻と結婚して間もない時期で、「栃木県ってどこ?」と言って泣かれました。十数年後、逆に矢板を離れることになった際、あれほど不安を感じていた妻が「矢板の暮らしを続けたかった」と言ってくれた時には救われました。住めば都とはよく言ったものです。
ともあれ、めでたく商品企画をすることになった私が、直属の上司から教わったのは企画の5要素。基本のキの字です。この5つの要素のバランスをとりながら商品を企画し、実際に商品化するのが仕事と。「仕様」を盛り込みすぎても「価格(コスト)」があがる。「デザイン」も然り。「数」と「納期」も商品そのものに密接に関わります。

ただ残念なことに異動した時期は最後のビューカムとなるViewcam Zをリリースした直後。異動の1年後に予期せずに部門ごと解散となり、デジカメやスマホの普及を背景として、ビデオカメラに液晶をつけて一時代を築いたビューカムは終わってしまいました。すばらしい商品だったのに残念です。結局ここではひとつも商品を企画、世に出せないまま次の部署に異動することになりました。

異動先は欧州向け液晶テレビの商品企画部門でした。人事申告の海外の赴任先希望は?という欄に、卒業旅行で思い出があったスイスと記入していたことが理由。当時英語もろくにしゃべれなかった私が、いきなり欧州担当と聞いて、不安な気持ちでいっぱいでした。
これが、その後長く続く海外担当のきっかけとなった私の2回目の転機です。
初めて企画担当した商品は<LC-65GD1E>という、当時にしては超大型の液晶テレビ。国内向け商品の欧州マイナー展開ということで、新規性を問われる商品企画ではなかったのですが、何せ初めての企画担当商品ということで、やりがいを感じました。先輩や技術部門の方に支えられながら苦労してデビューした時の喜びは忘れません。

■そろそろ中堅社員(?)
その後毎年新製品を商品化し、企画の業務にも小慣れてきた頃。2011年東日本大震災に見舞われます。地震発生時、欧州現地メンバーと会議室で企画会議をしていたのですが、そこに襲ってきた2~3分の激しい揺れ。われわれ日本人メンバーは条件反射で机の下にもぐりましたが、地震をあまり経験したことのない欧州の人は、椅子に座ったまま必死に揺れに耐えている様子。教育文化の違いを感じました。
幸いその場はけが人もなく一安心でしたが、約1か月の間、自宅が断水し苦労することに。毎日、給水所や川に水汲みにいき、お風呂は近くの温泉まで通いました。無料開放してくれていたのがありがたかったです。

当日の揺れ以上に恐い思いをしたのが原発。爆発したあの映像を見ながら、100キロと離れていないこの地で、このまま働いていて大丈夫なのか、逃げなくていいのかという不安な日々を過ごしました。それと同時に回りの人からの励ましや親切を身に染みて感じた時期でもありました。
長らく、欧州向けの商品を担当していたので、ベルリンで開催される業界最大級の展示会「国際コンシューマ・エレクトロニクス展(IFA)」には何度も行きました。思い出は、2012年サッカーEURO CUPの協賛をした年。

展示会への出展は事前の準備段階から撤収まで大変なものですが、終わった後の達成感とビールは最高です。

プレッツェルが定番
■海外赴任の思い出
2013年、3回目の転機が訪れます。バルセロナ赴任です。実質1年半という短い期間でしたが、快適な気候と、日本人にもピッタリな食生活のおかげで満喫できました。


スペインでは普通にお米が手に入ります。パエリアがあるから。毎週木曜日はパエリアの日と呼ばれ、昼食の際は、毎週店ごとにちがうパエリアの味を楽しめました。


あと、美味しかったのは生ハム。「ハモン・イベリコ・べジョータ」というどんぐりだけを食べて育ったイベリコ豚の生ハムです。ちなみにスペインの家庭には一家に一台、豚の足一本を置ける”生ハムスタンド“があります。気が向いたときにナイフでけずってつまむようです。私は単身赴任でしたので、足一本まるごとを購入する機会はありませんでしたが、デパ地下の量り売りで購入し、ストックを切らしたことがありませんでした。

せっかくヨーロッパに住んでいるからということで、週末に各国に足を伸ばすこともありました。中でも思い出に残ったのはノルウェーとクロアチア。風光明媚な景色に癒されました。


■旅は続く海外赴任の思い出
さて、日本に帰国してから矢板勤務に復帰しましたが、その後、2016年には堺に移ることに。
書いていませんでしたが、間に亀山勤務の時期もあって、これで6回目の転勤です。ここまでくると引越しも慣れたものです。むしろ断捨離できてうれしく感じるようになりました。

堺での所属は変わらず海外向けの商品企画部門。ただし、この頃は欧米のブランドライセンスの話であったり、鴻海との協業の話であったり、商品そのものの企画業務とはちょっと毛色の違う業務が増えました。
おかげで、メキシコの工場や、鴻海の拠点、その他もろもろ、世界各地に出張させて頂きました。


出張での失敗談がひとつあります。台湾でコロナにかかってしまったこと。出張先のルールにより毎日検査キットで測定するのですが、ある日突然の陽性反応,,,。頭が真っ白になりました。同行した出張メンバーとは一緒に帰れず、一人残ってホテルに隔離されることに。幸い症状はそれほどひどくなかったので、オンラインでの仕事にさほど支障はありませんでしたが、取り残されて寂しかったです。関係者には多大なご迷惑おかけしたことをお詫びすると共に、現地台湾のメンバーにも大変お世話になり、ありがとうございました。


こんな感じで、仕事を通じていろいろな経験を積ませて頂きましたし、多くの方に支えられてこれまでやってきました。
気づいたら、だいぶ長くなってしまったので、そろそろ結びたいと思います。
■さいごに

こちらは学生時代に毎日練習していたコートの脇にあった石碑。書かれているのは小泉信三先生のお言葉。
「練習は不可能を可能にす」
今でもこの言葉の“練習”の意味を仕事に当てはめて考えることがあります。自分にはできないと思う事も、地道な鍛錬、努力を積み重ねることにより、できるようになる。
“海外なんて無理~”と思っていた私も今はどっぷり海外事業に浸かって、なんとかやっていけています。これも日々の業務を通じてコツコツ積み上げてきたものと人脈のおかげ。
これからもたとえ業務が変わっても、勤務地が変わっても、常に前向きで一歩ずつ進もうと思います。
さて次は郡山テニス部を支える熱血漢の
SBS事業本部 SWSパブリックS開発部 PBS
金澤将人さん
にバトンを渡します。金ちゃん、よろしくお願いします。

80歳を超えた元幹部の御手洗さんも毎週一緒に練習しています
最後まで読んでいただきありがとうございました。

(小祝岳夫/TVS事業本部 海外事業部 副事業部長)
≪シャープ横断♪バトンリレー≫とは…?
みなさんの人脈を駆使しバトンのようにコラムを繋いでいくという、太古の昔からある数珠つなぎ企画!第36走者はTVS事業本部の小祝さんでした。第37走者は、小祝さんからバトンを託された金澤さんです。お楽しみに♪