【シャープ横断♪バトンリレー】第40走者◆人気者になれる、忘れられない体験から始まったシャープ人生
■はじめに
こんにちは。角くんからバトンを受け取りました通信事業本部 パーソナル通信事業部 第二ソフト開発部の飯島です。

角くんと私のつながりは、「同期」「広島事業所」「テニス部」です。それにしてもテニス部ってほんとに繋がりが強いですよね。「えっ、なんであの人と仲良いの?」→「テニス部で一緒にテニスしてたんですよ~」何回言ったかなぁ。それだけ、事業所内でもテニス人口が多く、事業所間の交流も盛んに行われていると実感します。(春合宿、事業所対抗戦などの運営の皆様には本当に感謝しています。)
テニスの話もするのですが、それ以外にもこれまでの業務を振り返りつつ、お話しできればと思いますので、よろしくお願いします。
■私にとってのシャープとは
まずは入社から。働くならシャープ、と最初に決めていたんじゃないかなと思います。
私は高校生の超多感な時期に携帯電話最盛期を迎えていました。携帯電話を持つ人が増えて、誰かが最新機種を買うたびにその周りに人が集まって、日本初、世界初を楽しんでいました。
とうとう、私の番です。 私はJ-phoneの<J-SH03>という当時最新機種を購入しました。(ちょうどカメラ付携帯電話<J-SH04>の1つ前)
この時の“初”は着信メロディが3和音から4和音になったことでした。<J-SH03>を持って学校に行ったら、みんな集まってきて、一躍人気者です。人が自分に集まるときの感覚は今でも忘れられません。自分がすごいわけではないのですが、すごいでしょと見せつけることができる何か、その時代の携帯電話はそんな輝きを持っていました。授業中にマナーモードにするのを忘れて、着信音がなった時にそれが4和音で、やっぱ4和音は違うなーと言われたのは今でも良い思い出です。
携帯電話を通じて自分自身が中心になれる、主人公になれる、そんな優越感を味わえたことが、その後シャープを忘れられないものとしました。
就活が始まると、今まで経験してきたことを振り返る時間をとります。その時に思い出すのは先に話したことで、今度はみんなに私のような体験をしてほしい、もしそれを作れるのならシャープがいいなと思い、縁もあり無事にシャープに就職しました。
■会社に入って① ~入社後半年間のサービス実習~
リーマンショック後で各事業部の受け入れが難しく、私たちは技術系が半年間のサービス実習、ビジネス系が1年間の営業実習を余儀なくされました。
みんな地元近くのサービスセンターに配属される中、私は東京都立川市にあるSDS(シャープドキュメントシステム) 西東京TCに配属となり、複合機のメンテナンス業務に携わりました。
諸先輩方は常に忙しい中で、通常なら配属されない新米が半年間居座り、覚えたと思ったら半年で出ていく人に教えなければならない、相当な重荷だったかもしれません。
でもそんなことを感じさせることなく、機械の扱い方、お客様の応対、社会人としてのお酒の飲み方など、社会人としての素養を身に着けるために必要なことをたくさん教えていただきました。この時期に出会えて本当に良かったと感じています。
助川さん、またどこかでお会いできれば飲みましょうね。
(助川さんとSBS西東京TCの実習同期。助川さんが見たら怒られそうですが、イメージはこんな感じ、でも本当はもっとイケおじです!)

■会社に入って② ~本配属、通信事業でのタッチパネル開発@広島~
半年間のサービス実習が終わり、通信システム事業本部 パーソナル通信第三事業部 技術部(P3技術部)に配属され、タッチパネルのデバイス開発に携わりました。
当時はまだAndroidスマートフォンは出ておらず、折りたたみ携帯電話での入力操作はキーバッドが主であったので、タッチパネルは副次デバイスでした。その後、スマートフォンとなり、こんなキーデバイスになるなんて!
タッチパネルを作り上げる部品メーカーも新規参入が多く、毎機種新しいメーカーを立ち上げているような状態が続きました。
最初に開発に関わった機種はauの<AQUOS SHOT SH008>でした。
この時期は様々な部門と関われたことが財産になっていると感じます。
タッチパネルはスマートフォンの顔になる場所に配置されますので、画面の大きさ、構造など、企画段階の設計から携わり、デザイン、企画、機構といった部門とやりとりを開始します。
設計が終わると次は試作です。タッチパネルは「透明」でなければならないため、品質基準がとにかく厳しい。画面内に0.1mmのゴミ、何個以下というような厳しい基準を満たさないといけなかったため、クリーンルームに何度も何度も足を運び、工程の確認や検査などを生産技術部、生産部と一緒に行いました。鎌田さんにはめちゃめちゃ怒られたなぁ。とても厳しい方でしたが、良いもの作りたいという思いが伝わってきて、厳しいけどとても優しくて、大好きでしたね。
性能評価も忘れてはいけません。静電容量式タッチパネルは誤動作との戦いでした。スマートフォンになり、ユーザーに一番触られる機能(クレームに繋がりやすい…)となり、ひたすらソフト部門と誤動作対策をしていたように思います。古川さん、大湊さん、岡本さん、稲葉さんにはとてもお世話になりました。
最後に生産です。タッチパネルは構造的な問題もあり、市場に出てからも収まることはありませんでした。特に品質解析部の分析能力の高さにただただ脱帽でした。土肥さんにもたくさんお世話になりましたね。
その一環で、中国深センの工場立ち上げに連れて行ってもらったことがあります。初の海外出張です。タッチパネルの構造は、ガラス(or フィルム)に導電膜を蒸着して形成します。ガラス工場、成膜工場を視察後に、立ち上げにおける課題点を議論する場でしたが、ほぼ全く話せず、ただただ先輩方に圧倒されていました。機構の田代さん、品質解析の阿部さん、同部門で先輩の佐貫さんには、相当の準備と現地コミュニケーションの大切さを学びました。
写真が残ってないんですよね、なんででしょうね?
P3技術部は解体されてしまいましたが、みなさんのことは忘れていませんよ。新入社員から長らくお世話になり、楽しい思い出もたくさん残っています。

ここで、2013年12月に幕張事業所に異動となりました。
自部門、他部門に関わらず、広島でお世話になった方は数知れず、送別会もいくつも開いていただきました。たくさんお世話になっていたことを実感し、また恩返しできればなと思っています。懐かしい写真を引っ張り出してきました。(みんな若い)


■会社に入って③ ~幕張へ異動、5Gの立ち上げ~
パーソナル通信事業部 要素開発部に異動となり、3G、4Gなどの通信技術開発に携わることになりました。通信機器の要となる部分です。製品開発では高品質な音声通話を実現するVoLTE、通信速度を飛躍的に向上させるCarrier Aggregationの検証に携わり、通信技術の成長を肌で感じていました。また、3GPPという世界標準の通信規格から特許の創出も行っていました。数年先の技術の最先端を学び、製品開発に活かしていく土台はここで作り上げられたかなと思います。
そして10年に1度の通信の変革、5Gの到来です。5G初期の段階ではNSA(Non-Standalone)方式といって、4Gのネットワークをベースに5Gを組み合わせた構成が採用され、28GHzの高周波数帯の電波(mmW:ミリ波)で高速大容量通信を実現しました。当時のmmWは本当に繋がらなくて、試作機のmmWアンテナの向き、電波(ビーム)の向き、送信電力などのアナログな部分から、通信シーケンスなどの論理的な部分までトータルの知識が必要で、かなり鍛えられました。一番繋がるのは綾鷹のペットボトル24本入りの段ボール箱の上に乗せた時だ!!この高さが良いんだ!とか、今考えるとおかしいのですが、そんなどろくさいことをやってました(笑)
5G試作機は各通信事業者にも納入し、プレサービスでも活躍しました。私自身もWBS出演という成果を残せました。
5G開発は、今後の通信技術に繋がる貴重な開発経験となりました。10年に1度の通信技術開発を任せていただいた諸先輩方には本当に感謝しています。
■会社に入って④ ~現在は試験自動化、AI、そして6Gへ~
スマートフォン開発は継続しています。しかし、業界のシュリンクは否めません。少ない人数の中で最大限に効果を発揮できるように自動化、AIを用いた業務効率化に取り組んでいます。先日イントラに掲載された田久保さんも私のGrのメンバーで活躍していただいています。
(イントラネットで「AIでなんとかならない?」立ち上がった、入社3年目社員の取り組みを紹介します※という記事をぜひご覧ください!田久保さんが紹介されています。 )
※社内ネットワークでのみ閲覧可能
また、今は6Gの立ち上げが本格化していくための準備期間、規格の理解や業界動向など広い視野をもって準備していく必要があります。6Gは私ではなく別のメンバーに任せたい。私が経験させていただいたように、10年に1度のチャンスを掴んで、たくさん経験を積んでもらいたいと思っています。

■趣味の話① ~ディズニー~
私の妻が大のディズニー好きでして、結婚式はディズニーアンバサダーホテルで、ミッキーミニーもお祝いに駆けつけてくれました!
また、2019年リフレッシュ休暇で香港ディズニーに行こうと計画していましたが、当時香港で暴動問題があった年で、リスク回避のためやむなくキャンセル。しかし、妻の気持ちは収まりません。「国内で実現しよう」と。その当時3つあった日本のオフィシャルホテルに泊まろう企画がスタート。ランド、シーを交互に、ブレックファーストビュッフェの間にプライオリティパスで取ったソアリンを乗りに行ったり、パークビューサイドに泊まったり、もう一生味わえなそうなことをやりつくしました。
(香港の旅費含めた合計費用よりも高くなったことはもう気にしません。プライスレス)


■趣味の話② ~テニス部~
テニスは高校から始めました。広島に配属されてからも迷わずテニス部へ。
2009年10月~2013年12月までは、通常の練習だけでなく、10月にある事業所対抗戦や合宿など様々なイベントで楽しく過ごさせていただきました。広島メンバーだけでなく、福山事業所とも近いため、実業団を共に戦いましたね。
2014年1月~は幕張テニス部にお世話になっています。これは6月の市民大会で千葉市5部で準優勝したときの集合写真です。

最近、広島事業所に行くタイミングで少しだけ時間があり、テニス部の練習に参加させていただきました。10年経ちましたが懐かしいメンバーもいたり、業務で関わった方が実はテニス部だったことが分かって一緒に練習させてもらったり、楽しいひと時を過ごさせてもらいました。

■最後に
今までのシャープ人生の記録ができてとても満足しています。 バトンを渡してくれた角くん、このような連載企画を考えてくれた広報部の皆様、ありがとうございます。
次のバトンは、テニスでも関わりがあり、要素開発部で一緒に通信技術の開発をしていた
SAS事業本部 PCIヘルスケア事業部 スマート事業推進部
佐藤楓さん
にバトンをお渡しします。よろしくお願いします。

(飯島賢一/通信事業本部 パーソナル通信事業部 第二ソフト開発部)
≪シャープ横断♪バトンリレー≫とは…?
みなさんの人脈を駆使しバトンのようにコラムを繋いでいくという、太古の昔からある数珠つなぎ企画!第40走者は通信事業本部の飯島さんでした。第41走者は、飯島さんからバトンを託された佐藤さんです。お楽しみに♪