【シャープ横断♪バトンリレー】第41走者◆北海道→広島→幕張→八尾!出会いの10年。

■はじめに

こんにちは。
飯島さんからバトンを受け取りました、SAS事業本部 PCIヘルスケア事業部 スマート事業推進部の佐藤です。

上の子に似顔絵お願いしたら断られました(泣)

最近のバトンリレーは通信事業本部やテニス部の顔見知りの方々で繋がっていて、次は誰だろうと油断していたところまさかの飯島さんより連絡が。飯島さんとは広島実業団テニストーナメントに幕張からスーパー助っ人として来ていた時初めてお会いし、幕張に異動してからは上司として大変お世話になりました。

私は2015年にシャープに入社して丸10年経ちました。10年の節目としてシャープ人生を振り返らせていただこうと思います。

■シャープに入社した理由

「出身は北海道です」と言うと「なんでわざわざこんな遠いところ(シャープ)に?」とよく言われます。たしかにそう思いますよね、海越えてきてますから…。

子供のころからテレビを見るのが大好きで学校から帰ってきたらまずテレビ、寝るまでテレビ…と相当なテレビっ子。将来は「テレビに出たい!」ではなく「テレビに関係した何かをしたい」という漠然とした憧れがありました。

就活を始めるときにモノづくりができる企業に入りたいと思い、テレビ×モノづくり=シャープしかない!と決め、無事内定をいただくことができました。

周りの友達も北海道を出る人が多く、北海道を出ることにあまり躊躇いはありませんでしたね。

テレビ事業部には配属となりませんでしたが、内定後の面談で携帯は興味ある?と聞かれたような。今思えばあれが決定打だったのかも。

■新入社員研修・サービス実習

入社式2日前(遠方なので前々日入り)の2015年3月30日、地元北海道を出て大阪に来ました。大きなキャリーケースを引きずりながら梅田ダンジョンで迷子になったのを今も覚えています。

地元では5月に咲くので感動して撮影した桜

入社後天理研修所で1か月の全体研修、ビジネス系は営業実習、技術系はサービス実習が3か月ありました。

同期全員が集まったのもこの新入社員研修が最初で最後、寮の食堂や休憩コーナーでお酒を飲みながら話したのもいい思い出です。

全体研修最終日の決意表明で、私の所属していた班だけ笑いを取りに行き、絶体絶命のピンチを発表時間ぴったり終わって1位となり首の皮1枚繋がったこと、この班にはぴったりかもしれませんねと渡された副賞の本は「嫌われる勇気」。いい思い出です。(首の皮、繋がってなかった。)

「嫌われる勇気」の本と一緒に必殺技プラズマクラスターを放つ9班

サービス実習はSEK(現SOSS)西千葉SSで3か月お世話になり、エアコンや冷蔵庫などの修理を先輩社員に同行しお客様の家に訪問しました。修理が多すぎると怒られたこともありましたが、それでもシャープ製品が好きだから使っているんだと教えてくれたお客様もいて、愛されている会社なんだと実感したのと同時にお客様の期待を裏切らないよう頑張らなきゃと身を引き締めることができた実習でした。

■広島(北海道から一番遠い事業所)

サービス研修が終了し2015年8月、通信システム事業本部 グローバル商品開発センター 第一回路開発部に配属され、スマートフォン「AQUOS U <SHV35>」の機種開発グループに入りました。

初めて担当した機種 AQUOS U <SHV35>

職場コーチに回路設計の基礎・評価などスマートフォン開発で必要な業務を、機種開発を通して教えていただきました。評価や検討で試作基板にリード線を付けたり部品置き換えをするため半田付けの練習からスタートしましたが、スマートフォンの基板は部品が小さい上隙間無く並んでいるので不器用な私は試作基板を何枚も壊したことも。慣れるまでは業務の隙間時間で半田付け練習をしていました。

回路開発部は開発のまとめ役的立ち位置でハード開発部門はもちろん、ソフト、企画、生産など他部署ととても関わることも多く、第22走者の荒井さんも書かれていますが「何でも屋」な気質もある部門で泥臭い業務も結構担っていました。

電池治具を300本作ってね★と配線と基板を渡された時は白目を剥きそうになることも。

主な業務としてはスマートフォンで搭載されている機能であるバイブレーション、着信LED、センサー…など細かなシステム周りの開発に携わりました。

スマートフォンの機能には機能毎に基準値があり、バイブレーションの担当当時は振動量(強さ)1.2G以上、騒音量50dB以下にする必要がありました。

バイブレーションの部品は筐体の下側に配置しているため、部品近くが一番強く、部品から離れたスマートフォン上部は振動が弱い…と筐体上でもばらつきがあります。そのため振動量と騒音を測定し機種毎パラメータ調整を行っています。時には筐体と部品の間にクッション系の貼物を挟んでびびり音が出ないよう品質保証部の方々とも連携して調整を行っていました。

騒音量を防音室で測っている時の様子

現在は廃止されてしまった着信LEDですが、当時はフロントパネルが黒の他に白や青やピンクなど色付きのモデルが多くあり、パネル色ごとにLEDの点灯色も調整していました。

AQUOS R試作機 筐体は黒、フロントパネルはLED検討用でピンク 今となってはレア

システム開発部、機構開発部、品質保証部、企画部立ち合いのもと、会議室の電気を消したり付けたりしながら、もう少し赤を強く、白に見えない!と言いながら確認会をしました。

着信LEDは最近の機種にはもう搭載されていないので寂しいですが、システム開発の基礎を学べた機能でしたね。

開発担当した機種はどれも思い出深いのですが1番思い入れがあるのは、現在もRシリーズとして続いている「AQUOS R」初代です。

AQUOS R初代

この頃、試作生産フォローで中国に1週間出張へ。工場立ち上がり直後で未完成なところも多く、現地の方々に混ざって試作レーンに立って組立を行ったり、その場で対応を判断して動かないといけないことも多く各方面怒られながらもなんとか試作を進めました。

この時入社2年目、先輩社員の方々の現地対応力…とても勉強になりました。

開発初期から発売まで通しで初めて担当した機種だったので、CMがテレビで流れた時にはホッとしたのを覚えています。

休日に当時大流行していた映画「君の名は。」の中国語字幕版を映画館で見たのも良い思い出です。

「君の名は。」半券

パンにご飯が入っていた in VIP食堂

その後「AQUOS sense2」「AQUOS R3」の開発ではシステム系以外に構造設計にもチャレンジさせてもらい、0.1mmを争う世界に飛び込んでいきました。

AQUOS sense2

AQUOS R3

構造設計に携わることで各部門の人と関わることがさらに増え、たくさん助けていただき感謝しかありません。

この時期の繋がり・経験が財産になったと思います。

AQUOS R3開発終盤に幕張に異動が決まり、2日間かけてお世話になった方々に挨拶周りに行きましたが全員回れず…4年間で本当にたくさんの方々にお世話になったなと実感しました。

参加した飲み会は数知れず!(だいたい写真撮り忘れてる)お誘いいただきありがとうございました!

波輝バーベキュー(懐かしい)

■幕張

2019年5月より幕張の通信事業本部 要素開発部に異動、4G・5Gの通信技術開発、消費電流関連に携わっていました。

ここまでハードしか知識が無かったので幕張ではLTEの通信規格や通信シーケンスなど、通信の基礎を身に着けることができたと思います。

もちろん3GPPの資料は全て英文なので読むのはすごく大変で、どこに書いてあるのか探すのも一苦労でした。

消費電流は待ち受け時間や通話時間にダイレクトに影響してくるので開発中の全機種測定、窓際にスマホとラジオを置いてずっと通話させたり、5Gの商用サービスが始まった頃は5Gが繋がる場所探しのため幕張ビル内をスマホとPCを持ってうろうろしたり…広島にいた頃とはまた違った業務です。

幕張在籍中に上の子が産まれ、1歳になるタイミングで復帰。

慣らし保育終了3日前に熱を出して、熱が下がるまで職場復帰初日から休みになるかとハラハラしたことも。コロナ禍だったこともあり発熱すると検査結果が出るまで登園できずお休みをいただいたり在宅勤務をしたり…入園後1年は園で出た病気をことごとく拾ってきて子供も大人も辛い時期でした。(園でクラスターになったときは何故か罹らず助かった。)

余談ですがコロナ禍で人数制限されたディズニー、並ばず乗れて最高だった

■八尾

今年の5月より下の子の育休から復帰しSAS事業本部スマート事業推進部に配属、スマートメーターの開発に携わっています。

恥ずかしながらスマート事業推進部に異動するまで、スマートメーターについて詳しく知らず勉強の毎日です。

広島で学んだハード開発の知識、幕張で学んだ通信の知識が今の業務にも繋がっていて役に立っています。私がこうして色々な部署に異動しても開発部隊で働けているのは優しく丁寧に教えてくださった諸先輩方のおかげです。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

■テニス部・山岳部・同期のこと

学生時代は軟式テニス部に所属していたので、配属後は上長だった菅沼さんのお誘いもあり広島テニス部に入部しました。

週末は事業所内にあるテニスコートに行って部活に参加していました。私は上手ではないのでボールをすっ飛ばすことも多くご迷惑ばかりかけていましたが、一緒に楽しくテニスしていただき感謝です。

事業所対抗戦にも参加させていただきました。

2015年 事業所対抗①

2015年 事業所対抗②

センサチームで一緒だった磯尾さんのお誘いで山岳部にも1年ほど入部していました。

山に登るのは初めてで登り方もわからずの状態でしたが、山岳部のみなさんが優しく教えてくださり楽しく登ることができました。山頂で食べるご飯があんなにも美味しいとは。

カープの試合にもご一緒させていただきました

テニスも山も広島を出て以降できていないので、子育てが落ち着いたら再開したいなと思っています。

仕事でしんどいときもお昼休みに食堂で話したり、休みの日はバッティングセンターに行ったり、ご飯を食べに行ったりしてくれる同期の仲間がいてくれてここまで頑張ってこられました。

冬はスノーボードによく行った

広島を出て6年経ちますが今も連絡を取っていて長期連休で会って遊んだりしています。

地元を出て知り合いが1人もいない状態でしたが10年来の友達ができて本当に幸せ者だなと思います。

広島に配属された時「私はここで骨を埋めるんだ」と覚悟していましたが、まさかこの10年で広島→幕張→八尾と異動すると思っていませんでした。

受け入れていただいた部署の皆様、人事部の皆様本当にありがとうございます。

■最後に

拙い文章でしたがここまでお付き合いいただきありがとうございました。

我ながら10年とても濃いシャープ人生を送ってきて、どれも省くことができない大切な思い出と経験です。シャープ人生11年目も変わらず頑張っていきたいと思います。

次のバトンは

SAS事業本部 清潔ランドリー事業部 洗濯機技術部
倉持優理さん

にお渡しします。倉持さんよろしくお願いします。

(佐藤楓/SAS事業本部 PCIヘルスケア事業部)

≪シャープ横断♪バトンリレー≫とは…?
みなさんの人脈を駆使しバトンのようにコラムを繋いでいくという、太古の昔からある数珠つなぎ企画!第41走者はSAS事業本部の佐藤さんでした。第42走者は、佐藤さんからバトンを託された倉持さんです。お楽しみに♪

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