【シャープ横断♪バトンリレー】第52走者◆「人生一度きり」をこってり味わう~万博の話が9割~
こんにちは。広報部の柏谷(かしたに)です。
前回のバトンの河野さんとは、中途採用で入社したタイミングが同じ。年齢も、住んでいるマンション(棟は違う)も、子どもの幼稚園も、学校も、スイミングスクールも、すべて同じ。それが河野さんとの関係です。社内で頻繁に話すわけではなくても、子どもの行事で顔を合わせるたびに立ち話で近況を報告し合う、付かず離れずの唯一の“同期”。河野さんは「キャリア入社で、いわゆる同期もいません」と明記していましたが、一応それっぽいのはここにいるんです。
そんな河野さんからバトンが回ってきました。4年前に広報部員から始まったこの企画が、52走者目にして広報に戻ってきたことに少し感慨を覚えつつ、このバトンを持てるのも人生一度きりだと思い、筆をとらせていただきます。
■シャープに入社するまで
大学卒業後、地元の岡山に戻り、新聞記者として働いていました。記者キャリアの大半は、事件・事故・不祥事・災害などを扱う社会部です。「夜討ち朝駆け」――オブラートに包めば「朝活」や「アフター5」のような関係者取材を含め、昼夜を問わず現場に向かい、大ごとになればその先数日間の予定が一気に飛ぶ。そんな24時間生活の中で、突発事案に動じない心と、自分ではコントロールできない出来事に向き合う心を、20代のうちに鍛えられたことは、いま振り返ると大きな経験だったと思っています。
その後、芸術大学での広報職員を経て、2021年4月にシャープ広報部に中途入社しました。2年半がたった23年秋、テレビや新聞で少しずつ取り上げられる機会が増えてきたニュースがありました。25年に開催される大阪・関西万博です。
■堺から夢洲へ
会場は大阪・夢洲。当時の堺本社から海を隔てて目と鼻の先に、世界中の人々が集う祭典がやって来る。日本では20年ぶり、大阪では55年ぶりの大規模万博です。自分の住んでいる場所で万博が開かれるのは、人生一度きりかもしれない。その一度きりの機会をこってり味わうには、どうすればいいのか。どうやら、実施主体の2025年日本国際博覧会協会(万博協会)は、行政や民間企業からの出向者で構成されているようだ。ちょうどこのタイミングで大阪企業のシャープで働いているなら、もしかしたらチャンスがあるかもしれない。しかも、多少の無理も利く30代と、その一度きりであろう機会が重なった。こんな巡り合わせは奇跡的かもしれない。満員の南海バスに揺られながら、「人生一度きり。万博の中の人になりたい」という思いが、じわじわと湧き上がってきました。
ただ、当時のシャープは業績が芳しくなく、悪い意味でメディアの関心も高い状況でした。ただ「出向したい」と言うだけで実現できるはずもありません。それでも、社内外で後押ししてもらえそうな方々を探し、一度はくじけそうになりましたが、ついに24年6月から万博協会広報部への出向が叶いました。
当時の世論は、すでにアンチ万博報道のオンパレードでした。「建設費が膨らんでいる」「パビリオン建設が遅れている」「目玉がない」「(メタンガスや暑さの問題から)安全性に疑義がある」「万博の開催意義がない」…。そんな逆風にさらされる万博の運営団体への出向に、積極的に手を挙げる人は、全国を見渡してもほとんどいない状況でした。
※「目玉がない」という声に対しては「目玉はミャクミャクと同じ6つです」と回答するのが常套句になっていました。
万博協会は、官公庁と民間企業からの出向者で構成される800~900人規模の組織です。経歴もバックグラウンドも、過ごしてきた会社の社風もまったく異なります。ネガティブ報道の中で「寄せ集め所帯」と揶揄されることもありましたが、私と同じ広報報道課の約20人(24年当時)は、それぞれのキャリアを生かし、自発的に抜けや漏れを補い合えるピカイチのチームワークでした。どれだけ仕事量が増え、深夜になってもオフィスに閉塞感はなく、共通のゴールに向かってスクラムを組み、ひたすら突き進む感覚でした。リスク案件への対応や、取材会・定例会見の実施、テレビ局のロケ対応などに総出で取り組み、猛烈な逆風を少しでも追い風へと変えるために奮闘しました。
■人生一度きりの184日間
そして迎えた25年4月13日朝。前日夜に取材ルールを作り上げ(ギリギリ間に合いました)、取材想定位置へのメディア配置も完了。開幕を待ちわびた来場者が笑顔でゲートを通過していく様子を、ずらりと並んだ取材陣の後ろから目の当たりにした瞬間、ひっそりと目頭が熱くなりました。「やっとこの光景が見られた」。でも、この日はゴールではなく、184日間の会期の始まりでした。
会期中、会場ではニュースになる出来事が毎日のように起こります。加えて、開幕当初はリスク案件も次々に発生しました。何かが起きれば当日中に概要を公表し、翌日か翌々日には取材機会を設けて対応策を公表する。その迅速な対応力とスピード感は、実に痛快でした。
翌日対応はもってのほかで、当日中がマスト、しかも夕方のニュースに間に合わせるために15時までに公式情報が欲しいという無理難題もしばしばでした。リスク対応は、どれだけ尽くしてもプラスの報道にはなりにくいものです。それでも、1秒でも早く、適切に誠実な手段で「火消し」できれば、被害を最小限に抑えられると言われています。また、取材機会を設けて網羅的かつ統一的に説明することは、無秩序で一方的な取材を抑止するうえでも有効とされています。ネガティブな事象(混雑、トラブル、害虫発生など)ほどメディアの関心は高まります。その意識を組織全体で共有し、平時から担当部署と即座に連携できる体制を整えていました。
こうした経験は、万博を通してでしか得られないと思っていたので、時間帯を問わず、できるだけ最前線で報道対応に当たり、事実に基づいて毅然と対応するよう努めました。おかげで、メディアからのモーニングコールで起こされることも多々ありましたが、それも今となっては良い思い出です(メディア内では「9時半ルール」のようなものが黙示的に設定され、9時半を過ぎたら柏谷に電話をしてもいい、らしい。柏谷の勤務表をメディアセンターに貼り出せと言われたことも)。そんな日々を経て、今でも在阪メディアとは密な関係が続いています。
ただ、雨あられのごとく降り注ぐリスク対応で防戦一方になっているだけでは、状況をプラスに転じることはできません。反転攻勢のために念頭にあったのは、いかにポジティブな情報量を増やせるかということでした。各パビリオンやイベントには圧倒的なコンテンツ力があり、広報の動き方次第でポジティブな報道につなげられるという確信がありました。それなら、人生一度きりの半年間に、自分の限界ギリギリまでやってみよう。そんな気概で取り組みました。もっとも、大阪・関西万博では来場者の口コミによる伝播が大きな力を発揮し、「みんなで創り、育て、広げた万博」が体現されていきましたが、会期が進むにつれて万博に対する風向きが変わっていく様子を全身で感じられたことは、大きな達成感につながっています。

(右)「大屋根リングをフレームにして万博花火の写真を撮りたい」という新聞社カメラマンの要望に応じて撮影を調整。後世に残る最高の一枚を新聞1面に載せてもらった


そしてついにやってきた、会期184日目の10月13日。未明の徹夜組への取材対応からスタートしたこの日も、最後の力を振り絞って走り続けました。夕方の記者会見後、シャープ時代から懇意にしていた記者からねぎらいの言葉を掛けられたときには、ほんの一瞬涙腺が緩みそうになりましたが、もうひと踏ん張りと自分を奮い立たせました。
日付が回ったころに「オールゲストクリア」の無線がオフィスに流れると、部署の垣根を越えて全員で肩を抱き合い、互いの労をねぎらい合いました。その光景が、とても印象に残っています。184日の会期中、万博会場で過ごしたのは公私合わせて170日以上。人生一度きりのチャンスを、こってり味わうことができました。


1年半の出向期間を終え、25年12月にシャープへ戻りました。ほとんどの戦友たちも、それぞれの出向元へ帰任しています。プロジェクトが終われば、メンバーは三々五々それぞれの組織へ戻っていく。それが万博協会の宿命です。チームワークと個の力が極限まで高まったあの組織力を、もう同じ形で生かす機会がないことには寂しさも残ります。でも、一度きりだからこそ価値がある――そう思える経験でした。

(右)万博協会からシャープ宛てに感謝状をいただきました。万博協会へ温かく送り出してくれた皆様には実はけっこう感謝しています。ありがとうございました


■最後に
ちなみに、サムネイルの顔イラストは、万博のオーストリア館で、自分の顔がオーストリア人風のイラストになるという機械(AI画像生成技術)で作成されました。
ここまで、シャープ社内でのエピソードをまるっと割愛するという類例のない暴挙に出てみましたが、出向前はSASやSESJの広報担当を務め、今は、経営周りやEV、AIサーバーなどの広報を担っています。万博出向期間中でシャープのことは浦島太郎状態になりましたが、その間に大々的に登場し、話題を集めたのがEV「LDK+」です。私自身のキャッチアップという意味合いも込めて、
EV事業推進センター 事業戦略推進部
角田卓也さん
にバトンをつなぎたいと思います。
また違った経歴をお持ちなので楽しみです。よろしくお願いします。

(柏谷 和宏/経営企画室 広報部 経営広報グループ)
≪シャープ横断♪バトンリレー≫とは…?
みなさんの人脈を駆使しバトンのようにコラムを繋いでいくという、太古の昔からある数珠つなぎ企画!第52走者は広報部の柏谷さんでした。第53走者は、柏谷さんからバトンを託された角田さんです。お楽しみに♪







